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大阪高等裁判所 昭和49年(ネ)1459号 判決

控訴人(原審原告) 株式会社トウール・エンド・ハードウエア・サプライズ

被控訴人(原審被告) 森ゼンマイ鋼業株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、

1  原判決(控訴人の後記各請求を棄却)を取り消す。

2  (昭和四六年一二月一六日被控訴人に送達された訴状に基く後記債務不履行を原因とする主位的請求として、)

a  被控訴人は、控訴人に対し、金一、六八二、二一三円とこれに対する昭和四六年一二月一七日から支払済に至るまで年六分の率による金員を支払え。

(右訴状に基く後記不法行為を原因とする予備的請求として、)

b  被控訴人は、控訴人に対し、前同額とこれに対する同年月日から支払済に至るまで前同率による金員を支払え。

との判決を求め、

被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  控訴人は、請求の原因として次のとおり述べた。

「1 控訴人は、工作機械、木工機械、工具等の輸出入および国内販売を業とする会社であり、被控訴人は、鋼材類、機械工具等の製造販売を業とする会社である。

2 控訴人は、被控訴人から、昭和四六年九月一三日、別紙計数表一記載の形式、種類、数量のシド・クローム商標付エア・インパクト・レンチ(以下『本件レンチ』という。)を、同表記載の合計代金四、八〇二、二六一円で買い受けた。

3 本件レンチは、控訴人が、オーストラリアのバーケツト・インダストリアル・エクイツプメント閉鎖会社(以下『バーケツト社』という。)を仲介者として同国のシドンズ・インダストリーズ会社(以下『シドンズ社』という。)から買受の注文を受けたものであり、控訴人は、同年八月二六日同社との間にその売買契約を締結していた。

被控訴人は、右売買契約が控訴人とバーケツト社との間に締結されたものであると主張しているが、そうでなくシドンズ社との間に成立したことは、同社がしばしば直接控訴人に対し、目的商品を受け入れる条件としてそれが一定の規格に合致していなければならない旨を申し入れていることに徴しても明らかである(甲第二号証、同第六号証の一ないし三参照)。このことは、被控訴人もよく知つていた。すなわち、被控訴人は、控訴人の依頼に応じて本件レンチの製造に当りこれにシドンズ社を表わすシドクロームという商標を付したし、輸出のため、控訴人が指定した保税倉庫である神戸市葺合区小野浜町一丁目一番地、第六突堤X上屋、株式会社後藤回漕店荷受所に、同年一〇月一日本件レンチを搬入し、控訴人に対するその引渡をなした。

4 一方控訴人とシドンズ社との間では、控訴人は、本件レンチを同年一〇月一〇日に船積をすることとし、同社は、同日までに控訴人に信用状を送付する旨約束していた。しかし、同社は、同日までに控訴人に信用状を送付しないので、控訴人は、同年同月二五日までその履行を猶予した。被控訴人は、この間の事情も熟知していた。

5 ところで、シドンズ社は、控訴人との取引過程において本件レンチの仕入先が被控訴人であることを知つたので、同社の営業部長クーパーが、同年一〇月一九日被控訴会社を訪れ、本件レンチと同一商品を直接被控訴人から買い受けたい旨申し入れたのであつて、その意図が控訴人との取引をやめて被控訴人から同一商品を安値で入手するにあつたことは、明らかである。

そして、被控訴人は、シドンズ社の右意図を熟知しながら、同社との継続的直接取引により利益をあげることをもくろみ、本件レンチと同じ形式、種類のレンチを控訴人が同社に売却することとしている価格より安値で売る旨提示した。

その後被控訴人とシドンズ社との間では、同年一二月三日付で本件レンチの売買契約書が取り交わされているが、それは、体裁をととのえるためのものにすぎなかつた。すなわち、右両者の売買契約に関し、シドンズ社から被控訴人にあてた注文書(乙第七号証)は、同年一一月一七日付であり、これによれば、被控訴人が同年同月一一日付をもつて返送状を発していることが認められ、また、信用状の開設されたのが同月一七日、被控訴人がこれを入手したのが同月二六日、富士銀行北浜支店に買い取つてもらつたのが同年一二月一七日であることは、被控訴人も自認するところで、以上の経過によると、被控訴人、シドンズ社間において形式的に売買契約書が取り交わされた同月三日よりかなり以前から契約が結ばれ、その履行に着手されていることは、明らかである。

6 かようにして、シドンズ社は、被控訴人との直接取引で本件レンチと同形式、種類の商品を安値で入手し得る見込がついたので、控訴人に対して前記同年一〇月二五日の期日までに信用状を送付せず、右事情を知つた控訴人が同社に対し、同年一一月四日付、同月八日到達の書面をもつて、控訴人との契約につき同月一八日まで回答のない場合はこれを破棄したものとみなす旨を告知しても、これに対してなんらの回答もなさず、ここに同社は、控訴人との売買契約を破棄するに至つたものである。

7 控訴人は、シドンズ社に対して本件レンチを別紙計数表一の転売価格欄記載の合計代金六、五六三、一〇九円で売却する約束をしていたから、被控訴人からの買入価格との差額金一、七六〇、八四八円が右売買契約から得られる荒利益であり、これから売買契約の履行に伴う同表二記載の経費合計金七八、六三五円を差し引くと、純益は、金一、六八二、二一三円である。したがつて、控訴人のシドンズ社との契約が破棄されたことによつて生じた損害は、これと同額ということになる。

かりに、控訴人の転売先がシドンズ社でなくバーケツト社であつたとしても、バーケツト社からシドンズ社に対する再転売契約が成立していたものであり、控訴人、バーケツト社間の本件レンチの売買契約は、右転売を目的とし、その履行が条件となつていたものであるところ、被控訴人のシドンズ社に対する同一商品の安値の提示は、これによつて同社をしてバーケツト社との本件レンチの売買契約を破棄せしめ、控訴人のバーケツト社に対する転売を不能ならしめたもので、これにより控訴人は、前記と同額の損害を蒙つたものである。

8 およそ契約の当事者は、当該契約による相手方の目的を積極的に阻害しないようにする義務があるところ、被控訴人は、控訴人からシドンズ社に本件レンチが転売されることを知り、または控訴人からバーケツト社、同社からシドンズ社に順次本件レンチが転売されることを知つて、控訴人との間に同レンチの売買契約を結んだのであるから、控訴人が右契約において目的とした転売を達成し得ぬことがないようにする義務を負つたものといわなければならない。被控訴人のなした前示のシドンズ社に対する安値の提示とこれに続く同社との直接取引は、控訴人に対する右売買契約上の債務の不履行というべきであるから、被控訴人は、控訴人に対し、これにより与えた前記損害を賠償する義務がある。

よつて、被控訴人に対し、右債務不履行を原因とする主位的請求として、前記損害金一、六八二、二一三円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四六年一二月一七日から支払済に至るまで商法所定の年六分の率による遅延損害金の支払を求める。

かりに右の債務不履行が成立しないとしても、被控訴人は、前示の所為において故意または過失により控訴人の転売利益を喪失させたものであり、右は、自由競争の支配する取引社会においても許さるべきものでないから、予備的請求として、被控訴人に対し不法行為上の責任を問い、前同額の損害賠償を求める。」

三  被控訴人は、答弁として次のとおり述べた。

「1 当事者双方がそれぞれ控訴人主張の業種の会社であり、被控訴人が控訴人に対し、昭和四六年九月一三日、別紙計数表一記載の本件レンチを同表記載の合計代金四、八〇二、二六一円で売り渡したこと、被控訴人が控訴人の依頼に基き本件レンチの製造に当りこれにシドンズ社を表わすシド・クロームという商標を付したこと、被控訴人において、控訴人が輸出先との間で取り決めた船積日より前の同年一〇月一日に、控訴人が指定した神戸港第六突堤所在の保税倉庫に本件レンチを搬入し、控訴人に対するその引渡を了したことは、これを認める。

2 しかし、控訴人がシドンズ社との間で本件レンチの転売の契約を締結したというその主張事実は、これを否認する。控訴人は、バーケツト社から本件レンチの注文を受け、同社との間で売買契約を結んでおり、同社がシドンズ社に転売することとされていたものである。

3 被控訴人とシドンズ社との間において、同年一二月三日付で本件レンチの売買契約書が取り交わされたこと、これより先同年一〇月一九日、同社の営業部長クーパーが被控訴会社を訪れ、被控訴人から直接商品を買い付けたい旨の意向を示したこと、同社が同年一一月一七日に被控訴人との間の売買取引にかかる信用状を開設し、被控訴人が同月二六日にこれを入手し、同年一二月一七日に銀行に買い取つてもらつたことは、これを認める。しかし、その間の事情として控訴人の主張するところは、真実でなく、被控訴人は、控訴人、被控訴人間の売買契約が合意解除された後に、シドンズ社との間で売買契約を締結したものである。

控訴人は、輸出先から信用状を入手するに要する相当期間(一般には船積後一週間)経過後には被控訴人に本件レンチの売買代金を支払う義務があつたところ、被控訴人から右売買物件の引渡を受けたのが同年一〇月一日であるから、おそくとも同月一五日まではその代金を支払うべきであつた。しかるに、控訴人は、被控訴人の請求を受けながら、転売先から信用状が送付されないことに藉口して、バーケツト社宛の書面の写を示し、同社に契約破棄の意向の有無を照会したから、その回答が来るまで支払を猶予してほしいといい、代金の支払をしなかつた。被控訴人は、右の事態は、控訴人とその転売先との間になんらかの紛争が生じたためではないかと不安を感じていたところに、同年一〇月一九日、シドンズ社の営業部長クーパーの来訪を受け、同社としては、控訴人からはもちろんバーケツト社からも本件商品の買付をしたことがなく、被控訴人がシド・クロームの商標を付した商品を控訴人に売却すること自体シド・クローム社の商標権侵害になる旨告げられ、かつ、被控訴人から直接商品を買い付けたい旨の意向が示された。被控訴人は、もちろんこれを断つたのであるが、右の際に、控訴人に対してはシドンズ社からの信用状送付がなされる見込がなく、その結果被控訴人への代金支払もなされないことが明らかになつた。ところで、本件レンチの控訴人からの転売先は、外国商社であり、かつ、これにはシド・クローム社の商標が付けられていて一般向けには換価困難であつたから、契約が円満に履行されない場合には控訴人、被控訴人とも多大の損失を受けることが必至であつた。そうしたところ、被控訴人は、シドンズ社から、同年一一月一七日、商標権侵害を追及されるとともに本件レンチを代金四、一四〇、〇〇〇円で買い受けたい旨の申入を受けたので、やむなく、控訴人から本件レンチの返還を受けたならば、これをシドンズ社に売り渡すこととしたのである。そこで被控訴人は、同月末頃、控訴人に対し、売買代金を即時支払うか本件レンチを被控訴人に返還されたいと申し入れた結果、同年一二月二日、控訴人との間で本件レンチの売買契約を合意解除し、控訴人からその返還を受けた。被控訴人がシドンズ社からの注文に応じ同社との間で本件レンチの売買契約を結んだのは、その翌日である同月三日のことである。

4 また、被控訴人は、控訴人との間の売買契約上の義務をすべて履行した。

控訴人は、被控訴人との本件レンチの売買契約の前である同年八月一六日、これと同型の一四〇〇P型一五〇台および二〇〇〇P型五〇台のほか一二〇〇P型一〇〇台を被控訴人に注文し、被控訴人は、これを承諾したが、同年九月一九日になつて、一二〇〇P型一〇〇台を取り消し、一四〇〇P型を二五〇台にするよう注文を変更してきた。そこで、被控訴人は、控訴人が同年一〇月一〇日に船積をなすのに間に合うよう多大の努力と犠牲を払い、この種商品の通常の工期七五日を大幅に短縮した二〇日足らずでこれを完成させ、控訴人も認めているとおり同月一日控訴人に対する引渡を了したのである。

5 以上要するに、

(一) 控訴人は、被控訴人に対する契約上の義務をすべて履行したのであるから、被控訴人に債務不履行責任があるとする控訴人の主位的請求は、理由がないものである。

(二) さらに、被控訴人は、控訴人に対しつとに売買物件を引き渡しながら、その代金の支払を得られず、また、これが得られる見込すらなかつたので、やむなく控訴人との間で売買契約を合意解除し、しかる後シドンズ社との間に同一物件につき売買契約を締結したものであるから、そのことが控訴人に対する不法行為となるいわれはなく、右と異なる前提に立脚する控訴人の予備的請求も、失当といわねばならない。

6 なお、控訴人の損害の範囲に関する主張事実も、これを争う。」

四  控訴人は、さらに次のとおり述べた。

「1 控訴人が被控訴人主張のとおり買受注文の内容を変更したことは、これを認める。但し、その変更の日は、被控訴人主張のそれとは違い、昭和四六年八月二六日より前である。

2 控訴人が被控訴人に対し、転売先から信用状が送付されないことを理由に本件レンチの売買代金の支払の猶予を求めたことは、これを認める。しかし、本件売買代金は、信用状の到達日が支払期日となつていたもので、当初予想された同年一〇月一〇日までに信用状が到達しなかつたのは、被控訴人が交付した商品見本が粗悪であつたので、シドンズ社から見本の交換があるまで信用状の送付を見合わせられたためであり、交換見本は、同月五日頃同社に届けられたが、見本による出力テストには最低一週間を要するので、さらに信用状の送付がおくれたという事情である。また、被控訴人は、控訴人が信用状の送付を同月二五日まで延期し督促していることを知りながら、シドンズ社と共謀して本件背信行為をなしたため、控訴人は、シドンズ社に対する転売契約を解除するのやむなきに至つたものである。以上の次第で、控訴人には被控訴人に対する代金支払遅滞の責はなかつたといわねばならない。

3 被控訴人主張の日、控訴人、被控訴人間で本件レンチの売買契約が合意解除され、控訴人が被控訴人に対して右売買物件を返還したことは、これを認める。本件レンチは、別注により商標まで取り付けられたもので、他に売却することが不可能なので、控訴人は、やむなく、被控訴人に対する損害賠償請求権を留保して、右売買契約の合意解除に応じたものである(甲第七号証)。

五  証拠〈省略〉

理由

一  控訴人が工作機械・木工機械、工具等の輸出入および国内販売を業とする会社であり、被控訴人が鋼材類、機械工具等の製造販売を業とする会社であること、控訴人が被控訴人から、昭和四六年九月一三日本件レンチを合計代金四、八〇二、二六一円で買い受けたこと、そこで被控訴人は、同年一〇月一日、控訴人が指定した保税倉庫である神戸港第六突堤X上屋の株式会社後藤回漕店荷受所に本件レンチを搬入し、控訴人に対するその引渡を了したことは、当事者間に争がない。

次に、控訴人代表者本人の原審における第一回供述により成立を認め得る甲第三号証、右本人の原審における第一回および当審における供述により成立を認め得る同第四号証の一、同第六号証の一ないし三、成立につき争のない同第四号証の二の官署作成名義部分、ならびに、控訴人代表者本人の原審における第一回供述によれば、控訴人は、オーストラリアのバーケツト社から本件レンチと同型の、但し、一四〇〇P型一五〇台および二〇〇〇P型五〇台のほか一二〇〇P型一〇〇台を、いずれも同社からの再転売先である同国のシドンズ社を表わすシドクロームの商標を付けるという条件で買い受けたい旨の昭和四六年七月三〇日付書面に基く注文を受け、その後注文機種に若干の変更があつたので、バーケツト社にあて同年八月二六日付をもつて、一二〇〇P型をやめる代わりに一四〇〇P型を二五〇台にした注文請書とその部品の送り状を発送し、ここに同社と控訴人との間に本件レンチにかかる転売契約の締結を見たことが認められる。控訴人は、本件レンチの転売契約がシドンズ社と控訴人との間と直接締結されたものであると主張し、前掲甲第六号証の一ないし三、控訴人代表者本人の原審における第一回および当審における供述、ならびに、これにより成立を認め得る甲第二号証によれば、右転売契約そのものがシドンズ社の需要を充たすためのものであることから、同社は、右契約条件を決定するに当つてバーケツト社および控訴人とも協議にあずかり、直接控訴人に対し、目的商品を受ける条件としてそれが一定の規格に合致するものでなければならない旨を申し入れていることも明らかである。しかし、これらのことから直ちに同社が控訴人との間の直接の契約当事者であると認定することは、困難であり、これを肯認するところの控訴人代表者本人の当審における供述部分は、にわかに信用することができず、その他右転売契約における買主がバーケツト社にほかならぬという前記認定を覆すに足る証左は存しない。

ところで、前掲甲第六号証の一、二、成立につき争のない同第一号証、乙第四号証、証人松下慎一の原審における証言、ならびに、控訴人代表者本人の原審における第一回供述によれば、右転売契約においては、商品船積の日を同年一〇月一〇日と定め、買主において同日までに信用状を開設するという約束であつたこと、控訴人は、右転売による利益を目的として被控訴人から本件レンチを買い付けたいきさつであるため、被控訴人に対する売買代金の支払は、転売先から信用状の送付を受け次第、その売却代金を銀行預金口座に振り込むことによつてこれをなすという諒解が、控訴人、被控訴人間に成立していたことが認められる。しかるに、控訴人は、予定の日が過ぎても転売先から信用状が送付されないことを理由に被控訴人に対して代金の支払をなさず、控訴人、被控訴人間の売買契約は、結局同年一二月二日に合意をもつて解除され、売買物件たる本件レンチが控訴人から被控訴人に返還されたことは、当事者間に争がない。

二  しかるところ、被控訴人が、控訴人との間の右売買契約解除と相前後して(但し、その明確な時期については当事者間に争がある。)、シドンズ社に対し、直接に同一の商品を売却したことは、当事者間に争がない。

そこで、控訴人は、被控訴人としてはもともと本件レンチにかかる控訴人からの直接または間接の転売先がシドンズ社であることを知つて控訴人との間に売買契約を締結したのであるから、控訴人が右転売の目的を達成できないようにしない義務を負うものであつて、直接シドンズ社との間で本件レンチの売却取引をなしたことは、控訴人に対する債務不履行になると主張するのである。しかしながら、一般に売買契約における売主の買主に対する義務は、売買の目的たる財産権を買主に完全に移転し、その目的物に瑕疵がある場合に担保責任を負うことに尽きるのであつて、本件に則していうならば、後者の担保責任の点は、紛争の対象となつておらず、前者の財産権の移転とは、ひつきよう被控訴人が控訴人に対して本件レンチを引き渡し、その完全な所有権を得させることを意味し、かつ、それ以外の何物でもない。そして、被控訴人から控訴人に対し、昭和四六年一〇月一日控訴人の指定場所において、売買物件たる本件レンチの引渡を了したことは、前示のとおり当事者間に争のないところであり、これにより控訴人が右物件に対する完全な所有権を取得したと推認されるから、被控訴人としては右をもつて控訴人に対する義務の履行を終えたものというべきで、控訴人において被控訴人から本件レンチを買い受けたのがシドンズ社に対する直接または間接の転売を目的としたものであり、かつ、このことを被控訴人が控訴人への売渡の当初から知つていたとしても、売主の被控訴人が、引渡済の目的物につき買主の控訴人が転売による利益を得る妨げとなる行為をしてはならぬという一般的な債務を売買契約の効果として負担したものとは解することができない。控訴人の主張は、もつぱら被控訴人の控訴人に対する一回的売買取引の目的物の完全な給付後における所為を捉え、これが控訴人に対する売買契約上の債務不履行となるというに帰し、到底首肯することを得ぬものである。

控訴人の主位的請求は、右の説示と異なる前提に立つて被控訴人の債務不履行責任を問うものであるから、すでにこの点において理由がないものといわなければならない。

三  よつて、以下被控訴人が前示のとおりシドンズ社との間に本件レンチと同一の商品の直接売買取引を推進したことが、控訴人に対する関係で不法行為を構成するかどうかについて判断する。

1  控訴人は、右不法行為成立の法律上の根拠を必らずしも明示しないのであるが、それは、控訴人の転売先に対する売買代金債権を第三者たる被控訴人が侵害していることをいうものと解される。そして、本件レンチにかかる控訴人からの直接の転売先がバーケツト社であり、同社からの再転売先がシドンズ社であることは、さきに認定したところであるから、控訴人の主張する債権侵害の不法行為が成立するためには、主観的要件として、被控訴人がシドンズ社との間に直接の売買取引を進めるに当り、相手方と通じこれによつて間接的にせよバーケツト社から控訴人に対して売買代金の給付をさせないようにする意思を有していたこと、客観的要件として、その行為自体が違法性を帯びていることを必要とするといわなければならない。よつて、引き続き右の見地に立つて考察を進めることとする。

2  控訴人が被控訴人から買い受けた本件レンチの代金が、予定した日が過ぎても支払われぬまま、昭和四六年一二月二日にはその売買契約が合意解除され、被控訴人が本件商品の返還を受けたことは、前述のとおり当事者間に争がない。そして、原審および当審における証人松下慎一の証言、原審における証人藤井春一の証言、ならびに、右各証言により成立を認め得る乙第七および第八号証によれば、

(イ)  被控訴人は、控訴人との間で本件レンチの売買契約を締結する前からその交渉過程において、控訴人からの転売先がシドンズ社であるか、そうでなく直接の転売先がバーケツト社であるとしても同社からの再転売先がシドンズ社であると知つていたこと、

(ロ)  しかるに、被控訴人は、控訴人との間の売買契約の合意解除に先だつ同年一〇月一九日、シドンズ社の営業部長クーパーと日本駐在のコンサルタントというフリーマンの突然の訪問を受け、同社としては控訴人にもバーケツト社にも本件レンチを注文したことがなく、将来ともメーカーでない控訴人から買い付けることはあり得ないのであつて、被控訴人から直接同種の商品を買い受けたいのであるとの申出に接したこと、

(ハ)  この時には、被控訴人は、右申出に応諾しなかつたけれども、右クーパーらの求めにより、将来同種商品をシドンズ社に売る場合の見積価格として控訴人が予定していた転売価格よりもかなりの安値を提示しており、結局後日同社と被控訴人との間に成立した売買契約においても、右予定転売価格はもちろん控訴人に対する売価よりも低い価格が定められていること

が認められる。そして、以上の認定事実によれば、シドンズ社が被控訴人との直接取引を求めた意図が、将来控訴人を通す場合よりも安値で本件レンチと同種商品を入手するにあつたことが明らかであり、また、被控訴人においても、このことをクーパーらの訪問、申出を受けた当初から察知したし、その際、シドンズ社の意向に従つてこれとの間に安値の売買取引を行つた場合、控訴人が被控訴人からすでに買い受けた本件レンチの転売により所期の代金を受け取るのに多大の支障を生ずる可能性があることも予想し得たし、また、現実に予想したといわねばならない。

さらに、被控訴人は、シドンズ社との間に売買契約を締結したのが、控訴人との間で売買契約を合意解除した日の翌日にあたる同年一二月三日のことであると主張しており、控訴人も、同社、被控訴人間の売買契約書が同年月日付で作成されていることを認めているけれども、これに先だち、右売買契約に関しては、前掲乙第七号証および原審における証人松下慎一の証言によれば、被控訴人が同年一一月一一日付で仮送状を発し、同社から同月一七日付の注文書を受けていることが認められ、また、信用状の開設されたのが同月一七日、被控訴人がこれを入手したのが同月二六日、富士銀行北浜支店に買い取つてもらつたのが同年一二月一七日であることは、当事者間に争のないところである。以上の経過によれば、シドンズ社、被控訴人間に売買契約が確定的に締結されたのが何時とみるべきかはともかくとして、実際上は、被控訴人において控訴人との売買契約の合意解除に先だち同社との売買取引ないしその実現に向けられた準備行為をかなり積極的に推進していたことは、疑を容れない。

なお、原審および当審における証人松下慎一の証言、ならびに、原審における控訴人代表者辻元彦本人の第一回供述によれば、被控訴人は、上記のとおりシドンズ社との取引ないしその交渉を進める過程において、そのことにつき控訴人の諒承を得ていないのみならず、これに対しなんらの通知、連絡もしていないことが明らかである。

3  しかしながら、原審における被控訴人代表者本人の第一回供述により成立を認め得る甲第四号証の一、二(但し官署作成名義部分の成立は争がない)、成立につき争のない乙第五号証、原審における証人松下慎一および同清水正広の各証言、ならびに、原審における被控訴人代表者本人の第一回供述によれば、被控訴人は、控訴人に対して本件レンチを引き渡した後再三その代金の請求をしたのであるが、控訴人は、そのつど約束の信用状が到達していないとして猶予を求める一方で、昭和四六年一〇月一五日付をもつてバーケツト社に対し、同月二五日までに信用状を開設するよう催告するとともに、もし同日までに開設されないときは同社が売買契約を履行しないものとみなす旨の書面を送付した上、その写を被控訴人に届けたことが明らかである。そして、他方シドンズ社のクーパーらが前示のとおり被控訴人方を訪れた際、同社としては控訴人に対してもバーケツト社に対しても本件レンチの買付注文をしたことがなく、また、メーカーでない控訴人から買い付けることは将来ともあり得ないと言明したことは、前認定のとおりである。クーパーらの右言明がためにする虚言ではなかつたかと疑う余地は、もちろんあるけれども、すでに控訴人に対して本件レンチを売り渡し、その引渡も終えているのに、代金の支払を得ない過程においてこれを聞いた被控訴人としては、本件レンチにかかる控訴人、バーケツト社、シドンズ社間の取引がどのように推移しているのかもはつきりしないし、はたして控訴人が輸出先から信用状の送付を受けて被控訴人に代金を支払つてくれるであろうかと少からぬ危惧の念を抱いたであろうことは、想像に難くなく、原審および当審における証人松下慎一の証言も、これにそうものである。また、被控訴人がシドンズ社からの直接買付の申入を拒み通し、安値の提示もしなかつたと仮定して、その場合でも控訴人から本件レンチの売買代金をさして遅滞なく取り立てることができたかどうか、客観的にも本件の証拠上必ずしも明らかでなく、結局のところ控訴人との間の売買契約を解除して本件レンチの返還を得ても、これには後述のとおりすでにシドンズ社の商標が付けられているので、相当価格をもつて他に売却することが困難であり、同社に対する直接売却の交渉も、すでに時期を失しているおそれがあると推測せざるを得ない。そこで、被控訴人としては、控訴人との間の売買契約を維持してこれからの代金取立をはかる代わりに、控訴人との間の売買の解除とこれに伴う本件レンチの回収を見越した上、控訴人に対する売値よりも若干安値(この点も、原審における証人松下慎一の証言によれば、被控訴人とシドンズ社との間では五〇〇セツト単位で価格を定めたこと、また、本件レンチにはシドンズ社の商標が付けられていて、他への売却が困難であつたことによるものと認められる。)ながら、シドンズ社への直接売却の途を選んだものであつて、それは、企業の損失を防止するための手段としてもつともな点もあるというべきである。

4  以上説示したところによれば、少くとも被控訴人らがシドンズ社のクーパーらに対し本件レンチと同種商品を同社に直接売却する場合の価格を提示した昭和四六年一〇月一九日以降において、控訴人がその転売先バーケツト社に対する売買代金債権の取立を思うようになし得なかつたのは、多分に被控訴人がシドンズ社との間に直接売買取引ないしこれに直結する折衝をもつたことに基因するものと推測され、また、前述のとおり、被控訴人がそうした結果をある程度予測しながら同社との直接取引を進めたことも、否定することができない。しかしながら、被控訴人が、シドンズ社との間に売買取引を進めても、これによりバーケツト社から控訴人に対して売買代金債務を履行することが完全に妨げられるとはにわかに断ずるを得ず、かりに右債務の履行が妨げられるとしても、被控訴人においてバーケツト社ないしはシドンズ社との間に債権侵害の意思を通じたことは、これを認むべきなんらの証左も存しないところであり、むしろ被控訴人としては自己の取引上の損失を避けることを本位に前示の所為に出たにすぎず、これに基く控訴人のバーケツト社に対する債権に対する侵害の結果は、反射的であり、かつ、被控訴人の主観においては未必的であつたといわねばならない。それ故、本件の場合、被控訴人には、未だ債権侵害の不法行為成立の主観的要件たる故意があつたものと認めることは相当でなく、また、その行為は、動機および態様に徴し、未だ取引社会を支配すべき信義誠実の原則および公序良俗に反する違法性があるものとも断じ難いから、不法行為成立の客観的要件も充足せぬものというべきである。

控訴人の予備的請求も、理由がないものである。

四  してみれば、控訴人の主位的および予備的請求をいずれも棄却した原判決は、相当であるから、民事訴訟法第三八四条により本件控訴を棄却することとし、なお、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井上三郎 戸根住夫 畑郁夫)

(別紙)損害額計数表〈省略〉

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